スペシャルオリンピックスの沿革・歴史

1968年、故ケネディ米大統領の妹ユニス・ケネディ・シュライバーは、当時スポーツを楽しむ機会が少なかった知的障害のある人たちにスポーツを通じ社会参加を応援する「スペシャルオリンピックス」を設立しました。

ユニスは活動を通じ、知的障害のある人たちの可能性を実現し、彼らに対する社会の否定的な固定観念や差別的態度を変えるため、その生涯を捧げました。彼女が生涯貫いた信念は、50年たった今も確実に社会を変える動きとして世界に広がっています。

※スペシャルオリンピックス(英語: Special Olympics、略称:SO/エスオー)

スペシャルオリンピックス創設の歩み

1962年ケネディ家とケネディ財団は、スポーツの治療的効果に長い間関心を持っていましたが、ユニス・ケネディ・シュライバーは、知的障害のある子ども達を集めて、この年、アメリカ、メリーランド州でデイキャンプを行いました。
このデイキャンプが、スペシャルオリンピックスの始まりです。彼女の姉ローズマリーには、知的障害がありました。
1963年~
1968年
メリーランド州で実施したデイキャンプは、知的障害のある子ども達が様々なレクリエーション的な活動に参加する事ができ、また効果を得ることができるという事実を証明するのに十分な成功を収めました。その結果ケネディ財団は、国中に同様のプログラムを設立するために助成することを決断し、アメリカとカナダで80ヶ所以上もの公的機関、私設機関に知的障害のある人々のためのデイキャンプを、それぞれの地域で設立するための助成を行いました。
1968年7月20日、アメリカ・イリノイ州シカゴのソルジャー競技場で第1回スペシャルオリンピックス・国際大会が開催され、アメリカ国内26州とカナダから1,000人以上のアスリートが参加しました。12月、非営利組織「スペシャルオリンピックス」が、国際本部としてアメリカ・ワシントンD.C.に誕生しました。
1971年12月、アメリカオリンピック委員会より「オリンピック」の名称使用が正式に認められました。
1977年2月、第1回スペシャルオリンピックス・冬季国際大会(アメリカ・コロラド州スチームボートスプリングス500名)が開催されました。
1988年2月、国際オリンピック委員会(IOC)とスペシャルオリンピックス国際本部は、「オリンピック」の名称使用や相互の活動を認め合う議定書を交わしました。

スペシャルオリンピックス国内活動の歴史

1991年第8回スペシャルオリンピックス・夏季世界大会がアメリカ・ミネソタ州で開催され、熊本県から体操のアスリートとボランティアコーチが体操競技・床運動に出場し、銀メダルに輝きました。そのニュースが熊本県の地元紙に掲載され、多くの反響を呼び、新たなスペシャルオリンピックス活動の輪が広がりました。
1992年10月、スペシャルオリンピックス説明会が熊本県熊本市で開催されました。
1993年1月、ボランティアコーチ研修会を行い、その後、熊本県内でスポーツプログラム活動が始まり、3月、地区組織「スペシャルオリンピックス熊本」が設立され、同月、国際本部のはからいで、第5回スペシャルオリンピックス・冬季世界大会(オーストリア・ザルツブルグ)に熊本県からアスリート2名、コーチ3名が参加しました。
1994年スペシャルオリンピックス日本設立準備委員会が発足し活動を始めました。
10月、地区組織「スペシャルオリンピックス東京」が設立された後、
11月27日、国内本部組織「スペシャルオリンピックス日本」が、国際本部より認証を受け熊本県熊本市で発足しました(会長:細川佳代子)。
1995年3月、第1回スペシャルオリンピックス日本・夏季ナショナルゲーム(熊本県)を開催し、7月、第9回スペシャルオリンピックス・夏季世界大会(アメリカ・コネチカット州)に、日本選手団30名を派遣しました。これ以降、世界大会毎に日本選手団を派遣しています。
1996年2月に第1回スペシャルオリンピックス日本・冬季ナショナルゲーム(宮城県)(アルペンスキー競技)を、5月同大会(スケート競技)を福岡県で開催しました。
1998年8月、第2回スペシャルオリンピックス日本・夏季ナショナルゲーム(神奈川県)を開催し、これ以降、夏季・冬季のナショナルゲームは、2年ごと交互に開催しています。
2001年5月、内閣府より特定非営利活動法人として認証を受け、特定非営利活動法人スペシャルオリンピックス日本を設立しました(理事長:細川佳代子)。
2002年8月に開催した第3回スペシャルオリンピックス日本・夏季ナショナルゲーム(東京都)では、1,000人を超えるアスリートが参加し、3,000人以上のボランティアが大会を支えてくれました。
2004年2月、第3回スペシャルオリンピックス日本・冬季ナショナルゲーム(長野県)を2005年スペシャルオリンピックス・冬季世界大会のプレ大会として開催しました。9月、2005年冬季世界大会「500万人トーチラン」の採火式・分火式が行なわれ、トーチランが全国でスタートしました。
2005年2月、第8回スペシャルオリンピックス・冬季世界大会が長野県で開催され、84の国と地域から1,829人のアスリートが参加、日本選手団も150名が参加しました。
2006年7月、国税庁より認定NPO法人として認定を受けました(理事長:三井嬉子)。
2007年12月、スペシャルオリンピックス日本は、本部事務所を熊本県熊本市から東京都に移転したため、NPO法人の認証先が東京都に変わりました。
2008年4月、有森裕子が理事長に就任しました。
2009年47都道府県全てにスペシャルオリンピックス活動が拡がりました。
2011年10月1日には、公益財団法人への移行を行うため臨時総会で一般財団法人スペシャルオリンピックス日本の設立を決議し、10月5日「一般財団法人スペシャルオリンピックス日本」を登記設立しました。
2012年内閣総理大臣より一般財団法人スペシャルオリンピックス日本は公益認定を受け、3月31日通常総会において「特定非営利活動法人スペシャルオリンピックス日本」の解散と公益財団法人への事業移行及び残余財産寄贈の決議を行いました。
4月1日より「公益財団法人スペシャルオリンピックス日本」として事業を開始しました。
2014年スペシャルオリンピックス日本 設立20周年を迎えました。
2016年12月、ユニファイドスポーツ単一でのナショナルゲーム(2016年第1回全国ユニファイドサッカー大会)を初めて開催しました。
2019年スペシャルオリンピックス日本 設立25周年を迎えました。
2020年新ビジョン2020-2025を策定し、新スローガン“Be with all”を掲げました。

スペシャルオリンピックス日本は、皆様のご寄付や企業協賛によって支えられている非営利組織です。
ひとりでも多くの知的障害のある人たちが活動に参加できるよう、皆様のご支援、ご協力を心よりお願い申し上げます。