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インタビュー

2018年シカゴカップ特別対談 山口素弘氏X有森裕子SON理事長

山口素弘氏(名古屋グランパス アカデミーダイレクター)
有森裕子(スペシャルオリンピックス日本理事長)

7月、「2018年スペシャルオリンピックス ユニファイドフットボールカップ・シカゴ presented by TOYOTA(以下、シカゴカップ)」が行われた。日本選手団アンバサダーとして現地入りした山口素弘氏(サッカー元日本代表/名古屋グランパス アカデミーダイレクター)と有森裕子(スペシャルオリンピックス日本理事長)に感想を聞いた。

山口素弘(やまぐちもとひろ)/ 名古屋グランパス アカデミーダイレクター
1969年生。群馬県高崎市出身。1998年FIFA World Cup フランス大会でフル出場するなど、国際Aマッチ58試合出場。

有森裕子(ありもりゆうこ)/ スペシャルオリンピックス日本理事長
1966年生。岡山県岡山市出身。女子マラソンの選手として1992年バルセロナ五輪で銀メダル、1996年アトランタ五輪で銅メダルを獲得。


─ 実際にシカゴでご覧になって、大会の雰囲気や技術レベルなど、どう感じましたか?

有森 選手たちの緊張感と、大会を盛り上げようという温かい気持ちが一体となって、独特のいい雰囲気がありました。選手たちも伸び伸びとプレーできていましたね。スペシャルオリンピックス50周年に、素晴らしい大会をスタートさせたという印象です。試合はとても激しくて、パワーとスピードを感じたのですが、山口さんから見て技術レベルはどうでしたか?

山口 想定していたよりずっと高かったです。選手たちと一緒に決勝戦を観戦したのですが、彼らがそのレベルの高さに驚いて、「あそこまでいかないとダメなんですね」と言っていました。ただ逆に考えると、「ユニファイドのチームでも、あそこまでいける」という可能性を示してくれたんですよね。やるべきことを一つひとつやっていけば、あんなに高いレベルまで行けるんだと。

有森 私は、グループステージ第2戦(SO日本対SOジャマイカ)と、第3戦(SO日本対ナイジェリア)を観戦しました。残念ながらどちらも3点差で敗れてしまいました。

山口 体が大きく、フィジカルの強い相手なのはわかっていましたが、実際にやってみて面食らうところがあったみたいですね。それでも、試合をするたびに適応できたところもありました。PKではありましたが、ジャマイカ戦で記念すべき1点目を記録したときは僕も興奮しました。

─ 日本選手団はグループステージ敗退となりました。国際試合初勝利への課題は?

山口 今回は勝てませんでしたが、ユニファイド・チームメイト賞に選ばれたことは誇りに思ってほしいです。でも、選手たちの口からは当然のように「悔しい」という言葉が出ていました。こういう大きな大会で緊張するなといっても難しいこと。自分の持っている力を出しきれなかったという思いが悔しさになったのだと思います。足りないのは「機会」。強い相手との試合をもっともっと経験すれば、自分の力を出し切るやり方がわかってくるはずですので。

有森 私もまったく同じことを思っていました。課題は明らかで、「機会の継続」ですよね。進歩するためには絶対に必要なことです。それを克服するのがスペシャルオリンピックスの取り組みです。知的障害のある人の多くは圧倒的に機会に恵まれておらず、継続的なチャンスさえあれば当たり前のように進歩します。今回、世界レベルの高さを教えてもらい、それを意識できるくらい成長できました。その意義は大きいですね。

山口 成長には目覚ましいものがありました。正直、チームが結成されたときには、大丈夫かなって思うくらい頼りない印象しかなかったんですよ(笑)。失礼ながら、なぜ自分たちがこの場にいるのか、あまりわかってないのではないかと。でも、それから練習を重ねて、5月の合宿の頃から、お互いを助け合ったり、求め合ったりする部分がどんどん育ってきましたよね。大阪で壮行試合をやったときには、もうすっかりチームになっていました。顔つきまで変わってきて、トップアスリートの顔になってきましたよね(笑)。やっぱりそういう機会があるっていうのは本当に大事なんだなとつくづく感じました。

─ スポーツを指導する立場から、今回のユニファイドチームの派遣にどのようなことを感じましたか?

山口 サッカーの原点、スポーツの原点ってなんだろう。それは「楽しむ」ことだ……今回、日本選手団と行動をともにして、僕が一番強く感じたことです。今、名古屋グランパスでユース世代の指導をしたり、また指導者の育成に関わったりしていますが、僕たちにとっても大切なこと。この原点を見失ってしまうことがあるんです。はじめはサッカーが大好きで、純粋に楽しいからやっていたはずなんです。上手くなって、高いレベルでプレーをするようになると、指導者も子どもたちもだんだん変わっていってしまう。親御さんに練習場まで送り迎えしてもらって、高度な技術や戦術を教えるのが「日常業務」になってしまう。プロを目指す集団なんですが、そればかりに目が行くと、大事なことがおろそかになる。原点を忘れて、サッカーが楽しくなくなるという本末転倒なことにもなりかねない。それはちょっと違うよなということを気づかせてくれました。

有森 5月の合宿で、名古屋グランパスのユース選手たちに協力してもらいましたよね。その後、ユースの選手たちに何か変化はありましたか?

山口 それはすごくありましたね。実は合宿で試合をやると決まったときから、スペシャルオリンピックスやユニファイドスポーツについて、映像を見せたりして考える材料を与えました。彼らもとても真剣に考えて、協力してくれました。一緒にサッカーをやって、一緒に笑いあって、終わったあとも、「サッカーは普通。何も変わらないですね」と言っていました。変化というのは、いい意味で気を回すというか、思いやりの気持ちが出てきたこと。我々はいつも、自分で主体的に考え、積極的に取り組めということを言ってきましたが、それが目に見える形になってきました。とくに今の高校3年生たちは、ユニファイドチームとの交流を機に、意識が変わりましたね。

─ とても意義のあった今回のシカゴカップ。これを将来に生かしていくために必要なことは何でしょうか?

山口 現地ではヒデ(中田英寿)や北澤(豪)君と一緒に観戦していたんですけど、話していたのは、「ジャマイカやナイジェリアの選手たちはサッカーを知っているよね、日本の子たちはまだまだサッカーを知らないよね」ということ。もうこれは試合をする機会の多いチームと少ないチームの差だと。いっぱい試合をやることでわかってくることがサッカーにはたくさんあるんです。

有森 わかります。これは障害者スポーツだけでなく、日本のスポーツ界が共通して抱える問題かもしれません。練習が多すぎて、試合が少なく、楽しく感じられなくなってしまうという。

山口 それと、これもヒデや北澤君と同じ意見だったんですが、「日本でもやりたいよね」「できる土壌はあるよね」ということ。有森さんはどう思いますか?

有森 3人がおっしゃったように「日本でやりたい」というのはそのとおりです。あんな緊張感の中でプレーする経験なんて、なかなかないですから。今回は「初めての挑戦、すごかったね」ということで、それはそれで素晴らしいのですが、単発で終わってしまってはもったいないんです。本当はこれをもっと日常的に、当たり前のようにしていくことが大事なんです。こういう経験ができたのを第一歩として、いかに継続していくかですよね。知的障害のあるアスリートと、知的障害のないパートナーがまさに一体となって、レベルの高いサッカーチームを作っていました。それは企業においても、一般社会のどの場所においてもできること。彼らはまずスポーツの場でそれを証明しています。その姿を多くの方が見て、知れば、どんどんそんな世の中に近づいていける。そのためには、もっともっと多くの人にスペシャルオリンピックスを見て、知ってもらわないといけません。その機会を増やして継続させていくために、アグレッシブに活動していきます。山口さん、これからもよろしくお願いします。

山口 こちらこそ、よろしくお願いします。


山口素弘(やまぐちもとひろ)/ 名古屋グランパス アカデミーダイレクター
1969年1月29日生。群馬県高崎市出身。ポジションはボランチ。東海大学を2度の大学日本一に導き、全日空(後の横浜フリューゲルス)に入社。Jリーグのオープニングを横浜フリューゲルスで迎え、名古屋グランパス、アルビレックス新潟、横浜FCでも活躍。1998年FIFA World Cup フランス大会でフル出場するなど、国際Aマッチ58試合出場。2007年シーズンを最後に現役引退。2012年からは横浜FCの監督を3シーズン務めた。

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